私達の祖父の戦争
戦うことになんの意味があったのか。
『祖父の戦争』早坂隆/著、幻冬舎
余命わずかの祖父から聞いた、あの戦争の話。
2005年に現代書館から出版されたこの本、今年の夏に育鵬社から『祖父が見た日中戦争』とタイトルを変えて改訂版が出ています。
その改訂版のサブタイトルを見て、読まずにはいられなかった。
一言一句、まさに私の祖父と同じだったから。
改訂版よりも早く入手できたので、2007年文庫版を読みました。
私の祖父は戦争から生きて帰ってくることはできなかったから、早坂さんのように祖父から直接話を聞くことはできませんでした。
代わりに、祖父と同じような体験をした人々の話を、知りたいと思うのです。
早坂さんの祖父は、私の祖父より10歳ほど若く、出征したのは1年ほど早い。
若い男手がなくなった日本で絞り出すように召集された34歳の私の祖父とは違い、若い戦力として早々と兵役に出た早坂さんの祖父。
同じ中国でも戦況も配属先も違うし、私の祖父と同じ戦線を行った人の体験記と比べても、早坂さんの祖父の戦争体験には少しの余裕が感じられるのは、その隊の性質的なものがあったのかもしれません。
それだけでなく、「孫に語る」ということが、語る内容も表現も、柔らかくさせたのかもしれません。
大陸打通作戦のために数千キロを歩かされた兵士たちの話を多く読んできたのですが、そこでの書かれ方とはまた少し違う「なんの意味があったのか」という問いをここでも見つけ、戦争によってもたらされるものは空虚さでしかないと、改めて思いました。
印象に残ったのは、4、5年次兵の話。
内地帰還が間近になり、それまで鬼のように厳しかった先輩兵たちが優しい仏のように変わったという描写。
それは、戦場に来るまえの元の顔に戻っただけで、本当は案外気の良い人だったのかもしれない、と思い巡らすところに、まさしくその通りだろう、と、胸が痛くなるのです。
人一倍厳しく制裁を与える先輩兵も、敵兵に銃口を向ける兵士も、みな、戦争がなければ、気の良い人だった。
戦争という怪物は、人間そのものを変えてしまう。
生きて終戦を迎えた早坂さんの祖父は、「生きのびてしまった」という後ろめたさに苛まれます。
そこには誰にも打ち明けられずにいた秘密があり、いつまでも自分を責め続けることになる。
広島や長崎の原爆で生き残った人々や兵役から還ってきた人々の、自分だけ生き残ってしまったことに対する葛藤の言葉は、たびたび目にします。
散ることが美しいと信じさせられていた時代の薄ら暗さを感じます。
戦争になんの意味があったのか。
私の祖父は、大陸打通作戦のために中国に送られたのち早くに病に倒れ、長い期間を病院で過ごしたらしいことがわかってきました。
ほとんど戦場に立つことなく、病の床につき、亡くなった祖父。
なんのために、なんのために…
そんな虚しい問いが頭をずっと占拠しています。
生きることの喜びを、爆発させられる世の中でありますように。