ネコオドルのほんのつぶやき

自然豊かな小さな町で、猫4匹と暮らしています。小さな本屋「ネコオドル」店主が、本のこと猫のことなどをつぶやきます。

校正という仕事

残さない仕事。

『文にあたる』牟田都子/著、亜紀書房

フリーランスの校正者による、校正エッセイ。

校正という仕事にとても惹かれます。

日ごろから牟田さんのSNSも拝見しているのですが、牟田さんが発する校正に対する言葉を聞いていると、ふと思うことがありました。

私は大学在学中から20代、司書とかけもちで舞台衣裳の仕事をしていたのですが(仕事と言えるほど大層なことはできていなかったけれど)、私が衣裳に心がけていたことは「違和感を与えないこと」でした。

なんかこれ、校正と似ているなぁと思ったのです。

衣裳さんやスタイリストと呼ばれる人の中には、衣裳を通して主張するスタイルもあるかと思いますが、私が大切にしていたのは、その場面や人物の心情に溶け込むような衣裳でした。

言うなれば「その登場人物が自分で選んで着た服」であり、違和感なく受け入れられること。

時代や設定に矛盾を生じさせるような衣裳を着せてはいないか、着方が間違っていないか、時代背景や当時の流行などを調べる作業は、今の図書館でのレファレンスサービスに繋がる大事な経験でしたし、悪目立ちせず、いかに「余計な記憶を残さない」かに気を遣っていたこの仕事のやり方、なんだか校正と通じるところがあるなぁと思ったのです。

私のレファレンス好きはこの体験から来ているのかもしれません。

 

本の後半にさしかかる頃、藤田初巳の『校正のくふう』が出てきて「あっ」となりました。

牟田さんは「残念なのは著者がいかなる人物か、本のどこにも見当たらないこと」と書かれていますが、私には、藤田氏がいかなる人物か、少しだけわかるのです。

と言うのも、私が昨年から根気強く調べ続けている祖父について、つい最近知り得たことの近くに、藤田氏の名前があったのです。

祖父は大学在学中から作家活動をしていましたが、「定職についてくれ」と言う父親の懇願に従い、卒業後は三省堂に就職しました。

出版部で校正をしていた、と聞いています。

さすがに会社員時代のことは記録がないだろうと思っていたら、思いがけず、同僚が書いた文章がとある雑誌に寄稿されているのを発見しました。

祖父の同期には、俳人の渡辺白泉がいました。

三省堂は、新入社員をまず校正課に入れて仕事の基本を教え込む習わしだったそうで、祖父も渡辺白泉らと一緒に毎日机にかじりついて赤字を入れていたとか。

藤田初巳も、三省堂の社員で、渡辺白泉らと句集シリーズの編集をしていました。

藤田氏もきっと、新人教育で校正をたたき込まれたのでしょう。

藤田初巳の『校正のくふう』は実務的な本ということですが、出版社勤務時代の祖父がどんな仕事をしていたのか、当時の空気を知ることができるかもしれません。

 

祖父が校正をしていたからという訳ではないでしょうが、私は職場で校正がうまいとされて、校正係のような役割になっています。

図書館だよりや広報原稿、各種申込書まで、表に出す文章は、回覧して職員全員で校正をするのですが、単純な表記ミスや誤字脱字が、なぜか他の人には見つけられないようで、見落とされてきたそれらに最終チェックするのがお約束のようになっています。

他の職員が手抜きをしてるのでは?と勘ぐったりしてしまいますが、一番怖いのは、私が作成した文章の校正が真っ白で戻ってくることの多いこと多いこと。

本当にミスがないのか、見落とされているのか、疑心暗鬼の私は自分で自分の原稿を校正し、やっぱりミスを見つけて、ため息をついたり…。

 

司書の特質かレファレンスが好きなので、事実確認にはとても興味があります。

私も祖父の調査をするうちにレファレンス能力がだいぶ鍛えられてきましたが、実際のレファレンスでは「調べすぎない」ことも大切だったりするので、ただただ正解や典拠を求めて資料にあたる作業、沼のようにじっとりと深く暗い道ではありますが、宝探しの冒険のようにワクワクしてしまいます。

活版印刷で作られた本にひとつだけ横向きになった文字を見つけたり、何刷りもされている文庫なのに明らかな脱字があったりと、性質なのか、誤植を見つける気もなしに見つけてしまう私にとって、校正という仕事には興味が尽きません。

そういえば短い期間でしたが、試験問題の校正の内職をしたことがありました。

誤字脱字はもちろん、問題として破綻していないか、問題用紙の段組みはおかしくないか、など、3人体制で校正をしていました。

 

校正をもっときちんと知りたいな。

牟田さんの仕事に臨む姿勢に感嘆しながら、牟田さんと2匹の猫から、今日も目が離せません。