ネコオドルのほんのつぶやき

自然豊かな小さな町で、猫4匹と暮らしています。小さな本屋「ネコオドル」店主が、本のこと猫のことなどをつぶやきます。

ネコゴエ書房

9月10日、ネコゴエ書房に出店しました。

北本市にある小声書房さんの2階で行われた猫しばりイベントです。

7月に太原堂さんで開催した「1日猫太堂」の投稿を見た店主さんから「ぜひうちでも」と声をかけていただいて実現した、1日猫ジャックイベントです。

私は新刊本とZINE、雑貨を、猫しばりでセレクトして持って行きました。

いつも全力でおすすめしたいものばかりを選ぶため、同じようなセレクトになってしまい、毎回代わり映えしない見栄えになってしまうのですが、これはネコオドル・テイストということで受入れてもらえるでしょうか…。

 

ほかの出店者さんもご紹介。

1日猫太堂でもご一緒した「ねこのみち」さん。

すべてが輝いて見える素敵な売り場にほれぼれ。手に取ってみたくなります。

 

1日猫原堂でもご一緒した「にこわたベーグル」さん。

今回もお客さまそっちのけで買い込んでしまいました~すみません。

 

豆絵本屋「雨猫」さん。

豆本といろいろな紙雑貨、どれもこれもみんなかわいいくて思わず衝動買い。

 

猫タロット占いの「時猫堂」さん。

占いを目指してくるお客さまもいてとても人気でした!

 

寄居は遠くてなかなか行けないけどネコオドル気になってたんです~というお近くの方も来てくださって、出張してきてよかったなあと、しみじみ。

イベント出店すると寄居のお店が開けられないので、ただでさえ少ない営業日をつぶしていいのだろうか…と悩むこともあるのですが、こうして自分から会いに行けるのがイベント出店の良いところなんだなあと、あらためて思いました。

 

楽しいひとときになりました。

またどこかのお店を猫ジャックする日があるかもしれませんね。

校正という仕事

残さない仕事。

『文にあたる』牟田都子/著、亜紀書房

フリーランスの校正者による、校正エッセイ。

校正という仕事にとても惹かれます。

日ごろから牟田さんのSNSも拝見しているのですが、牟田さんが発する校正に対する言葉を聞いていると、ふと思うことがありました。

私は大学在学中から20代、司書とかけもちで舞台衣裳の仕事をしていたのですが(仕事と言えるほど大層なことはできていなかったけれど)、私が衣裳に心がけていたことは「違和感を与えないこと」でした。

なんかこれ、校正と似ているなぁと思ったのです。

衣裳さんやスタイリストと呼ばれる人の中には、衣裳を通して主張するスタイルもあるかと思いますが、私が大切にしていたのは、その場面や人物の心情に溶け込むような衣裳でした。

言うなれば「その登場人物が自分で選んで着た服」であり、違和感なく受け入れられること。

時代や設定に矛盾を生じさせるような衣裳を着せてはいないか、着方が間違っていないか、時代背景や当時の流行などを調べる作業は、今の図書館でのレファレンスサービスに繋がる大事な経験でしたし、悪目立ちせず、いかに「余計な記憶を残さない」かに気を遣っていたこの仕事のやり方、なんだか校正と通じるところがあるなぁと思ったのです。

私のレファレンス好きはこの体験から来ているのかもしれません。

 

本の後半にさしかかる頃、藤田初巳の『校正のくふう』が出てきて「あっ」となりました。

牟田さんは「残念なのは著者がいかなる人物か、本のどこにも見当たらないこと」と書かれていますが、私には、藤田氏がいかなる人物か、少しだけわかるのです。

と言うのも、私が昨年から根気強く調べ続けている祖父について、つい最近知り得たことの近くに、藤田氏の名前があったのです。

祖父は大学在学中から作家活動をしていましたが、「定職についてくれ」と言う父親の懇願に従い、卒業後は三省堂に就職しました。

出版部で校正をしていた、と聞いています。

さすがに会社員時代のことは記録がないだろうと思っていたら、思いがけず、同僚が書いた文章がとある雑誌に寄稿されているのを発見しました。

祖父の同期には、俳人の渡辺白泉がいました。

三省堂は、新入社員をまず校正課に入れて仕事の基本を教え込む習わしだったそうで、祖父も渡辺白泉らと一緒に毎日机にかじりついて赤字を入れていたとか。

藤田初巳も、三省堂の社員で、渡辺白泉らと句集シリーズの編集をしていました。

藤田氏もきっと、新人教育で校正をたたき込まれたのでしょう。

藤田初巳の『校正のくふう』は実務的な本ということですが、出版社勤務時代の祖父がどんな仕事をしていたのか、当時の空気を知ることができるかもしれません。

 

祖父が校正をしていたからという訳ではないでしょうが、私は職場で校正がうまいとされて、校正係のような役割になっています。

図書館だよりや広報原稿、各種申込書まで、表に出す文章は、回覧して職員全員で校正をするのですが、単純な表記ミスや誤字脱字が、なぜか他の人には見つけられないようで、見落とされてきたそれらに最終チェックするのがお約束のようになっています。

他の職員が手抜きをしてるのでは?と勘ぐったりしてしまいますが、一番怖いのは、私が作成した文章の校正が真っ白で戻ってくることの多いこと多いこと。

本当にミスがないのか、見落とされているのか、疑心暗鬼の私は自分で自分の原稿を校正し、やっぱりミスを見つけて、ため息をついたり…。

 

司書の特質かレファレンスが好きなので、事実確認にはとても興味があります。

私も祖父の調査をするうちにレファレンス能力がだいぶ鍛えられてきましたが、実際のレファレンスでは「調べすぎない」ことも大切だったりするので、ただただ正解や典拠を求めて資料にあたる作業、沼のようにじっとりと深く暗い道ではありますが、宝探しの冒険のようにワクワクしてしまいます。

活版印刷で作られた本にひとつだけ横向きになった文字を見つけたり、何刷りもされている文庫なのに明らかな脱字があったりと、性質なのか、誤植を見つける気もなしに見つけてしまう私にとって、校正という仕事には興味が尽きません。

そういえば短い期間でしたが、試験問題の校正の内職をしたことがありました。

誤字脱字はもちろん、問題として破綻していないか、問題用紙の段組みはおかしくないか、など、3人体制で校正をしていました。

 

校正をもっときちんと知りたいな。

牟田さんの仕事に臨む姿勢に感嘆しながら、牟田さんと2匹の猫から、今日も目が離せません。

運命の鍵

死刑執行のカウントダウン。


『幻の女』ウイリアムアイリッシュ/著、早川書房

妻と喧嘩して家を飛び出し、街をさまよっていたスコットは、奇妙な帽子をかぶった女と出会う。
気まぐれで女と食事や観劇をし家に帰ると、妻は殺されていた。
スコットは自分の潔白を証明するために女を捜すが…。

防犯カメラや科学捜査、パソコンも携帯電話もなく、人々の記憶だけが頼りの時代。
そんななかで誰もが口々に「そんな女はいなかった」と証言する怖さ、そして絶望。

一緒にいたあの女は幻なのか。

ゾクゾクして続きが気になり、一気読み。
何も考えずにただ物語の世界に没頭したいと手にとった1冊。
ドンピシャでした。

私が読んだのは稲葉明雄訳の旧版ですが、今は黒原敏行訳の新訳版が出ています。
旧版は少し古めかしい表現があるので、新訳の方が読みやすいのかも。

冒頭の一文が素敵。

1942年に書かれたミステリーです。

私達の祖父の戦争

戦うことになんの意味があったのか。


『祖父の戦争』早坂隆/著、幻冬舎

余命わずかの祖父から聞いた、あの戦争の話。

2005年に現代書館から出版されたこの本、今年の夏に育鵬社から『祖父が見た日中戦争』とタイトルを変えて改訂版が出ています。
その改訂版のサブタイトルを見て、読まずにはいられなかった。
一言一句、まさに私の祖父と同じだったから。

改訂版よりも早く入手できたので、2007年文庫版を読みました。

私の祖父は戦争から生きて帰ってくることはできなかったから、早坂さんのように祖父から直接話を聞くことはできませんでした。
代わりに、祖父と同じような体験をした人々の話を、知りたいと思うのです。

早坂さんの祖父は、私の祖父より10歳ほど若く、出征したのは1年ほど早い。
若い男手がなくなった日本で絞り出すように召集された34歳の私の祖父とは違い、若い戦力として早々と兵役に出た早坂さんの祖父。
同じ中国でも戦況も配属先も違うし、私の祖父と同じ戦線を行った人の体験記と比べても、早坂さんの祖父の戦争体験には少しの余裕が感じられるのは、その隊の性質的なものがあったのかもしれません。
それだけでなく、「孫に語る」ということが、語る内容も表現も、柔らかくさせたのかもしれません。

大陸打通作戦のために数千キロを歩かされた兵士たちの話を多く読んできたのですが、そこでの書かれ方とはまた少し違う「なんの意味があったのか」という問いをここでも見つけ、戦争によってもたらされるものは空虚さでしかないと、改めて思いました。

印象に残ったのは、4、5年次兵の話。
内地帰還が間近になり、それまで鬼のように厳しかった先輩兵たちが優しい仏のように変わったという描写。
それは、戦場に来るまえの元の顔に戻っただけで、本当は案外気の良い人だったのかもしれない、と思い巡らすところに、まさしくその通りだろう、と、胸が痛くなるのです。

人一倍厳しく制裁を与える先輩兵も、敵兵に銃口を向ける兵士も、みな、戦争がなければ、気の良い人だった。
戦争という怪物は、人間そのものを変えてしまう。

生きて終戦を迎えた早坂さんの祖父は、「生きのびてしまった」という後ろめたさに苛まれます。
そこには誰にも打ち明けられずにいた秘密があり、いつまでも自分を責め続けることになる。

広島や長崎の原爆で生き残った人々や兵役から還ってきた人々の、自分だけ生き残ってしまったことに対する葛藤の言葉は、たびたび目にします。
散ることが美しいと信じさせられていた時代の薄ら暗さを感じます。

戦争になんの意味があったのか。

私の祖父は、大陸打通作戦のために中国に送られたのち早くに病に倒れ、長い期間を病院で過ごしたらしいことがわかってきました。
ほとんど戦場に立つことなく、病の床につき、亡くなった祖父。

なんのために、なんのために…

そんな虚しい問いが頭をずっと占拠しています。

生きることの喜びを、爆発させられる世の中でありますように。

形に残す。

1年の日記。


『驟雨とビール』『爽やかな茸』『白ねこ黒ねこ』『頭蓋骨のうら側』武塙麻衣子/著、自費出版

2021年6月1日から2022年5月31日まで、夏からはじまる1年間の日記。
それぞれ3か月分ずつ収載されています。

武塙さんの世界の切り取りかたは美しい。
文章も美しく、ハッとするような表現に度々出会い、心を震わせることがあります。

武塙麻衣子さんは私の大学時代の1個下の後輩で、私はずっと「麻衣子」と呼んでいるから、ちょっとあらたまった感じで「武塙さん」と呼ぶのがくすぐったい、けど嫌ではないしむしろ嬉しいので、ここでは「武塙さん」と呼びたいと思います。
嬉しいというのは、私たちの「麻衣子」がみんなの「武塙麻衣子」になっていくのが嬉しいということ。

なぜ6月からはじまるのか、という点について。
武塙さんの日記は『諸般の事情』からはじまっていて、こちらを読むと自然とわかります。
これは2020年6月13日から1年間の日記で、『諸般の事情』『続 諸般の事情』の2冊に半年分ずつ収められています。
6月13日は武塙さんの誕生日。
武塙さんの1年は6月からはじまるのです。
30代最後の1年を形に残すためにはじめたという日記だけど、最後まで読むと、ハッとする事実に行き当たります。
まぎれもなく武塙さんの日常を綴った日記なのだけど、そこに潜む思いや「書かれていないこと」の存在に、否が応でも気づかされ、まるでミステリー小説を読んだ後のように、どこかに隠れていたかもしれない伏線を回収するために、最初から読み返したくなる、そんな惹きつける力を持っています。

『驟雨とビール』からはじまる4部作は『諸般の事情』から1年後の日記。
『諸般の事情』で心をつかまれた人は読まずにはいられないですね。

武塙さんの日常。
とにかくよく食べて、よく飲んでいる。
大衆酒場が好きというだけあって、行きつけの立ち飲み屋さんとか、ちょっと一杯だけひかっけるとか、はしご酒とか、酒呑みのお手本のような飲みっぷりが読んでいて気持ちよくて、お酒に弱い私にはうらやましいばかりなのです。
おいしいおいしいと言いながら食べる姿も気持ちいい。

夫のユークさんと、猫のエンゾと山椒と暮らしている。
友人ともよく飲んで食べて、母親ともよく映画やランチに行って、ファミレスでフランス語を習い、ポメラで原稿を書いている。
私はこの犬みたいな名前の機器が気になってしかたない。

映画を見て、料理をして、昼寝して、ベランダで家庭菜園して、仕事もする。
ユークさんが出張でいない日には猫になめられている。
数ヶ月に1回、ネコオドルに来てくれる。
『頭蓋骨のうら側』にはネコオドルが2回も登場していた。

『頭蓋骨のうら側』の最後にはエッセイがあって、武塙さんのおじいさまのことが書かれています。
本のタイトルは、おじいさまがとある雑誌に寄稿した戦争の思い出を綴った文章からとったものでした。

武塙というペンネームもおじいさまの姓だというし、物書きをしていたおじいさまは武塙さんにとって特別な存在なのだと伝わってきます。
そして私との共通点でもあるな、と。

作家だった私の祖父は召集された先で亡くなっているので、戦争の思い出を聞くことはできませんでした。
同時期に同じ戦地に赴いた人の戦争体験記を読んでは祖父がたどったであろう道筋を追っていて、そこに書かれていることはとても辛くてやりきれない事ばかりだけど、知らなくてはいけないことだと思って読み続けています。

物書きをしていたおじいさまのお話、今度会ったらもっと聞いてみたいな。
おじいさまが書いた文章も読んでみたい。

『諸般の事情』の巻末にも「骨」というエッセイがあることに気づき、武塙さんはおじいさまとおふたりそろって骨が好きなのかもしれないと、ちょっと思ったのでした。

ピャ!

ママの誕生。


『ピヤキのママ』ペク・ヒナ/作、長谷川義史/訳、ブロンズ新社

ニャンイという厄介ものの猫がいました。
ある日、大好物のうまれたてのたまごを食べたところ、日に日におなかがふくらみます。
そして出てきたのは、う○こではなく、ひよこ。
「ピヤキ」と呼んで、世話をしているうちに…。

ナンセンスなのにあたたかい愛の物語。

表紙の猫のふてぶてしい顔にノックオンされたわけですが、その期待を裏切りません。
予想外の出来事にあたふたしながらもしっかりと「ママ」になっていく、不器用でユーモラスな姿は、とても愛おしいものです。

成長していくその後のピヤキも気になる、ママの誕生物語。

子どもと大人が一緒に楽しめる素敵な絵本です。

活版印刷とネコオドル

2022年8月でネコオドル店舗開業3周年を迎えます。
ネコオドルとして活動を開始したのはその1年前なので、誕生からは4周年…ということは、5年目突入。

3周年で5年目、なんだかちょうどよくない?
(なにが?)

ということで、記念グッズを作りました。
活版印刷栞ちゃん


猫のように気まぐれに。

本当に偶然の出会いがあり、寄居町活版印刷ができることを知りました。

ドアーズレタープレスさん。
寄居町鉢形のサイタマ印刷さんが運営する活版印刷室です。

紙も活版印刷も大好きで、大人の科学マガジンの小さな活版印刷機も購入したことのある私。
活版印刷で作られた本に1文字だけ活字が横向きになっているのを見つけると「あ、誤植」としみじみ嬉しくなってしまう私。
川越が舞台の小説『活版印刷日月堂』(ほしおさなえ/著、ポプラ社)を読んでは、寄居にもこんな印刷所あったらいいなあと夢見ていた私。

そんな私の前に颯爽と現れたドアーズレタープレスさん。


お見本にいただいた活版印刷グッズ。かわいい。

寄居で活版印刷
ただただ感動しました。
やらない手はないじゃないか!

「3周年なにかやりたい」に活版印刷がかけ合わさって、すぐに栞が思い浮かびました。

さっそくドアーズレタープレスさんに相談したところ、その後の展開が早かった!
「こんな厚さの紙でこんな感じのデザインで…」と、本当にぼんやりとした私のイメージを的確にキャッチして、即座にたくさんのデザイン案や印刷見本、紙の見本などを用意してくださいました。


家族にも相談しながらわいわいと。
あれよあれよという間に形になっていきました。

完成した栞は、何度も繰り返し使ってもらえるように、厚めの紙を選びました。


カラフルな3色。

みんな大好き元気カラー、黄。
ネコオドルのイメージカラー、青。
茶トラの猫色、茶。

インクはパキッと黒で。

とても素敵な仕上がりになりました。
たくさんの方に使っていただけますように。

ネコオドル×活版印刷、夢のコラボ第1弾。
8月から…と思いきや、7月31日からお披露目します。