本屋ときがわ町
6月8日、第3回「本屋ときがわ町」に出店しました。
埼玉県ときがわ町のiofficeにて行われる、ときがわカンパニーさん主催のブックイベントです。
第1回目に続き、ネコオドルは2回目の出店です。
本屋出店だけでなく、ワークショップやイベントも同時開催されます。
この日は、民俗学の視点から地図を読む「旅トーク:住宅地図で遊ぼう!」、美味しいベーグルとコーヒーをいただきながらの「哲学カフェ:死について考える」、そして「勉強会議:『データから考える教師の働き方入門』著者と語ろう!」という、3つのイベントが行われました。
ネコオドルは前回に引き続き、室内には新刊、外には古本。
今回の新刊は「持っていて嬉しくなる本」たちを持ってきました。
誤算だったのは、室内はそのままイベント会場にもなるため、イベント中は本屋さんは開店休業状態になること。時間内ほとんどイベントで埋め尽くされていたので、残念ながら新刊はあまりお客さまに見ていただけませんでした。これは次回への課題です。
古本。外はあいにくの空模様だったので、エントランス付近の廊下になりました。
ネコオドルの他には、本屋3店、ベーグル屋さん1店の出店がありました。みなさん個性的で、とても楽しい時間になりました。
次回は7月21日開催のようです。
ネコオドルの読書会と重なるため出店できませんが、8月にはまた出店します!
最高の夏休み
自分だけの文明をつくる!
『ウエズレーの国』ポール・フライシュマン/作、ケビン・ホークス/絵、千葉茂樹/訳、あすなろ書房
みんなからちょっと浮いていて、仲間はずれにされているウエズレー。
夏休みの自由研究に「自分だけの文明」をつくりだすことにしました。
自分だけの作物を育て、自分だけの服を作り、「遊び」を考えだし、「文字」まで発明する。
最初は遠巻きに見ていた近所の子どもたちも、ウエズレーがうらやましくてしょうがなくなります。
まわりとはちょっと違う子が、夢中になるうちにまわりをどんどん巻き込んでいく。
たくさんの可能性を感じさせるこの絵本は、大人にも読んでほしい。
なにかを始めることは、とても難しいこと。
それがだれもやっていないことだとしたら、なおさらです。
でも、そこにはたくさんのワクワクがあるはず。
そんなことを感じさせてくれる絵本です。
新しい一歩を踏み出そうとしている大人にも、もちろん子どもにも読んであげたい1冊。
ワクワクと楽しい夢のような夏休みの絵本です。
17歳の物語
猫も登場します。
『いつか記憶からこぼれおちるとしても』江國香織/著、朝日新聞社
17歳。
ちょっと裕福な家庭で育った、私立の女子高に通う女子高校生たち。
彼女たちの、少しずつ重なりあう6つの短編集です。
江國香織さんの描く少女たちは、とても魅力的。
純粋で、繊細で、残酷で、容赦ない。
大人や友人や、テストや席替えやボーイフレンドに、振り回されないようにふるまいながら、自分らしくいられているのか確かな自信はない。そんな揺れ動く17歳の少女たちに、エールを送りたくなります。
大丈夫。そのままで。
学生の頃、席替えが一大事だったことを思い出しました。
学生って、ままならないことのほうが多いけど、大人よりもはるかに自由だと思います。
想像の域を超えないことが多いほど、想像の中でどこまでも羽ばたくことができるから。
限界を知ってしまった大人はとても不自由です。
自分は誰かの幸福であると同時に、哀しみでもある。
そんなことを感じながら読みました。
それって、幸せなことですよね。
かつての17歳の少女たちへ。
いつか記憶からこぼれ落ちてしまったかもしれない、切なくてしあわせな物語集です。
もののけ
いるのか、いないのか。
民俗学者・布目准教授の助手としてフィールドワークに行くことになった大学4年のマヤ。
座敷わらし、河童、天狗。
目撃情報ははたして本物なのか。
イケメンだけど変わり者の准教授と女子大生の迷コンビによる、もののけの正体探しの珍道中。
「日常のすぐ近くには非日常がたくさんある」
作中に出てくる言葉です。
まさに。
民俗学の面白さを一言で表すと、こういうことかなと思いました。
不可思議な現象そのものは無視して、そういった伝承や信仰が残った歴史的文化的背景を研究するのが、民俗学。作中で布目先生はこう言っています。不思議現象を追究していったらそれはオカルト研究ってことですね。でも、この作品では、ばんばん不思議に向き合って、迷い込んでいきます。
民俗学とオカルトの境界線。
妖怪、神、精霊。
もののけの外来種も出てきたりして。
登場人物のキャラクターもおもしろくて一気読みしてしまう、民俗学小説です。